第12回  総持寺・太田茶臼山古墳を歩く

  北摂山地から流れ出る安威川の流域は弥生時代を中心とする多くの複合遺跡や古墳が発掘されており古くから多くの人々が住み稲作を営んでいました。中でも安威川の東、高槻の富田台地へと続く太田・総持寺地区は5世紀の前半には安威川の井堰から取水する水路(五社水路)を開削して田畑を潤す灌漑技術を完成させており今もその遺跡は残っています。平安時代には藤原一族が台地南端に総持寺を建立し権力誇示の象徴としています。

JR総持寺駅から西国22番札所、総持寺に向かいます。ここは、藤原鎌足から7代目の藤原山蔭によって886年(仁和2年)に創建され、平安時代には一条天皇以下4代の天皇の勅願所として寺領も拡大、七堂伽藍を備えた大寺院だったそうです。

次に訪ねたのは礒良(イソラ)神社、通称「疣水(イボミズ)神社」 神功(ジングウ)皇后が三韓征伐に出兵する際、境内の「玉の井」の神水で顔を洗ったところ美しい顔が疣や吹き出物に覆われた厳つい面相になり敵に侮られることなく勝利を得、凱旋の時には再びこの水で顔を洗い元の美しい顔に戻ったという話が残っています。また、境内裏には神功皇后がお手植えになったという「井保桜」という山桜の変種があり、江戸時代には桜の名所としても有名だったようです。

疣水神社の近くの新屋坐天照御魂(ニイヤニイマスアマテルミタマ)神社を訪ねます。神功皇后が三韓征伐に赴くに際し必勝を祈願したと伝えられます。ここは天正年間(1573~1592)の頃まで、朝廷から奉幣使が遣わされ、新嘗祭(ニイナメサイ)が執り行われるほどの神社だったそうです。

最後に立ち寄ったのは太田茶臼山古墳、宮内庁は「継体天皇陵」としていますが、現在は高槻の今城塚古墳が継体天皇陵として有力視されています。近年、ここで出土した円筒埴輪は高槻市上土室(ハムロ)で見つかった窯跡出土の埴輪片と粘土とハケ模様が同じであることが確認され、この工房で5世紀代に制作されたものと実証されました。

第13回  遠足・航空自衛隊饗庭野分屯基地

 日頃見ることもない自衛隊基地を見学出来るとあって興味津々、お天気にも恵まれて意気揚々と基地内へ・・・。礼儀正しい隊員の方々に案内されて向かったのは食堂、そこでは隊員の方と同じメニューの食事を試食させてもらえました。ペッパーライスにもち麦入りスープ、コールスローサラダ、皆さん好評だったようです。食事のあとはスライドで基地の紹介をしていただいた後、お楽しみの基地内見学。機密情報も多い中、最低限のお話を聞くことができました。初めてパトリオットの実物を見たときは感嘆の声が上がっていました。

 帰りは少し足を延ばしてメタセコイアの並木道へ立ち寄りました。まだ色づいていない緑の並木でしたが緑のトンネルも壮観でした。事故もなく予定通り茨木に到着、有意義な一日を過ごせました。